2008年11月16日

正義で地球は救えない/池田 清彦, 養老 孟司

 これまでも両著者の本は読んできたが,今回はさらに一歩踏み込んで,地球温暖化問題や外来種駆除問題について述べている。地球温暖化問題による二酸化炭素削減という目標は,突き詰めれば「新興国に石油を使わせない」ということが本質である。あと10年もすれば,石油がピークアウトする。それまでに人類は代替エネルギーを開発しなければならない。そのためには石油が必要である。今後,新興国が石油を膨大に使うようになれば,ピークアウトの時期が早まる。それが問題なのである。実のところ,日本人が二酸化炭素削減に尽力したところで,そんなのはほとんど何の効果もない。それは単なるカモフラージュである。外来種駆除問題は,遺伝子汚染などと言う言葉を使って外来種を悪者扱いしているが,それは突き詰めれば,ナチスのユダヤ人大虐殺と同じで,人種差別と同等のことである。外来種でも生き残っているのは,その環境に適応できたからであり,それは種の多様性にも貢献する。もともと「変わらないでいる」ことは不可能なのである。
 両著者は,さらに突き詰めて,そのような考え方になってしまった原因を考察している。日本がなぜこのような原理主義的な社会になりつつあるのか。それは,日本人が「考えなくなった」からである。例えば,役所の役人は,世界がどんなに不幸であろうとも,自分の世界は安泰である。役所は潰れない。結局今の日本人は,現状維持を続けていれば,とりあえず安泰という意識が充満している。しかし,実際にはそんなことはないのである。変化し続けることこそが生きることである。敷かれたレールの上を歩いていることは生きることでもなんでもない。むしろ,死へと突進しているとも言える。しかし,それに気付かず,盲目的に生きている人は多い。だから,思考停止に陥り,「良い」「悪い」の二極論的な判断しかできない。両著者はそれを憂えている。
 私個人がさらに突き詰めるならば,その原因は日本人が自分自身を信じることができなくなったからだと考える。自分とは何かを突き詰めず,自分自身と対話しなくなったからであろう。結局,この先,食糧問題や人口問題などで飢饉や戦争が起こったとするならば,翻ってそれは人間の責任である。個々の人間が自分自身を何者かを考えず,ただ楽することだけを求めて,利己的に生きた結果であろうと考える。おそらくその頃には,両著者も,洞爺湖サミットで「2050年に二酸化炭素排出量を50%削減する」などと適当なことを言った人達もいなくなっている。それは,今30代を生きている私自身の問題であり,子供達を導いていく私達の責任であると痛感する。「何も考えなくなった日本人」を変化させらられるかどうか。それは教育の問題でもあり,私自身の問題でもある。
posted by J-HASE at 21:09| Comment(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
「考えない」や「思考停止」ですか。まさに池田氏のレトリックにはまる人こそそれを実践しているようにおもえますが。
>それは種の多様性にも貢献する。もともと「変わらないでいる」ことは不可能なのである。
種の多様性にも貢献って外来種によって生活環境を狭められ絶滅やそれに近い状態になる生物のことは無視ですか?たとえばグアムではミナミオオガシラという蛇によってクイナなどの鳥類のいくつかが野生絶滅したんですが。それに「変わらないでいる」ことが不可能だから何なのでしょうか。だからといって無軌道な開発をしたり外来生物を放ってもともとその土地にいた生物の生存を危うくすることが許されるわけではありませんよね。
Posted by at 2008年12月29日 21:17
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